第一章 受付処理

夜明けが何度も壊される廊下。照明の明滅に合わせ、壁の落書きが笑いを刻む――シャンバラ・スクエア表層、第七書庫の裏手。

香坂は記録外の予約を転送しながら、胸の奥で小さく呟いた。

「……この感覚、また来るぞ」

ホログラムがぼやけるたびに、壁の落書きが笑っているように見える。

「法務ではないご相談、ね」香坂は端末を睨みつけた。「記録希望:無し。添付文書:空白。おまけに匿名。はいはい、こちら木蘭、ゴミ箱じゃないんだけど?」

青いペンギンのホログラムが現れる。

「YES.but…処理速度が通常より3フレーム速いです」

「そういうの一番怖いんだよ。言わない、でも決めてる。……薫クン案件だな」

香坂は通信先に接続した。

「おい薫、仕事しろ。記録外案件だ」

「……主任、俺もう今日シフト終わってるんですけど」藤本の声が通信越しに響く。

「木蘭にシフト制なんてねぇだろ。ほら、当てろ」

「薫って呼ぶなよ。もっと可愛く頼めないの?」

「……じゃあ薫ちゃんでいいか? 占え、薫ちゃん」

「ゾワッとした。やるよ、やればいいんでしょ」

「お前がやらかす時のパターンだな、それ」


第二章 接触

夕刻の木蘭、相談ブース。カーテンの向こうから香坂の声が聞こえる。

「……なあ、何でこういうの、毎回うちに来るわけ?」

「主任、声デカい。お客さんの夢ん中まで響くだろ」藤本が小声で注意した。

「響かせろよ。木蘭は慈善事業じゃねぇぞ」

「慈善事業で通してくれてたら俺が一番ラクだったなー」

天井から降るホログラムのノイズが、時折夜汽車の吊り革に見えたり、見知らぬ駅名に歪んだりする。

黒いワンピースの女性が姿を現す。胸元のVOIDブルーのペンダントだけが、現実を証明するように揺れている。彼女は占いを信じていないと言いながら、夢と現実の狭間で揺れていた。

「ただ、判断を補強する材料として利用したいのです」セイラが静かに告げる。

「それ占いじゃなくてデータ収集ね。ま、俺のとこ来る人だいたいそう」藤本が苦笑した。

「ほらな、言ったろ。うちは便利屋じゃないっての」香坂がひそ声で呟く。

「でも主任、そういう顔して来る人が一番面白いじゃん?」藤本が小声で返す。

「あーはいはい、性格悪い天才様のご意見いただきましたー」


第三章 観測

セイラが資料を取り出すと、香坂はモニタを覗き込みながら眉をひそめた。

「……何も映ってねぇぞ?白紙のファイルで相談料払う気か?」

「主任、頼むから黙ってて。今いいとこだから」

「いいとこって何だよ。詐欺か? だったら俺も混ぜろ」

「主任のそういうとこ、嫌いじゃないけど邪魔なんだよなあ」

藤本はカードを切りながら、ふっと手を止めてセイラの手首に触れ、静かに告げた。

「その約束、果たしたいだろうけど……あなた自身はそこで削れていくよ。その夜汽車みたいに、誰の駅でもない場所を走り続けることになる」

藤本のカードの上には、かつての駅名や切符の印字が一瞬だけ焼き付く。

香坂は息を呑む。『……本当に“向こう”の人間なのか』


第四章 夜汽車の真相

木蘭を後にしようとするセイラに、香坂が後ろから声を投げる。

「……なあ。あの占い、信じてないだろ?」

セイラは立ち止まり、振り返る。

「……あなたは、信じてくださるのですか?」

そこから夢の話が始まった。

夜ごと乗り込む夜汽車。星の灯が消えかけた世界を巡り、各駅にいる情熱を失った人に、かつての温度を渡していく役目を担わされている。

ある日、セイラは駅で会った老人に「戦時中の約束を果たしてほしい」と言われた。しかし記録上、戦時中は存在しないはずだった。それでも老人は毎晩夢に現れては約束を果たしてほしいと訴える。

セイラの言葉に香坂と藤本はそっと目線を合わせた。

「本当に夢なのだろうか」

セイラは小さなバッグから切符を取り出した。星灯の切符――夢の中だけで手渡される、淡く光るチケット。切符の裏には、その人が忘れた幸福の断片が、まるで古い絵葉書のように描かれている。

香坂はそれを現実の鉄道資料で照合し、実在する人物を見つけてしまう。

「……この切符、夢じゃなくて残響なんだな」

更に香坂が収集したログでは、セイラが目を覚ます時刻と、駅を通過した時間が一致していた。セイラは、夜汽車が午前2時22分までしか存在しないと言っていた。現実が、夢のダイヤに合わせて変形していた。

しかし、老人の手がかりは少なかった。

「……これ、夢の出口を探してるんだろ?逃げるんじゃなくて、付き合い方を決めるだけだよ。主任、あんたもそれ、そろそろやれってことだろ」藤本が言う。

「……薫クン、お前が言うと妙に腹立つな」

日に日にセイラは目に見えて衰弱していく。セイラは「自分が夜汽車の永遠の乗客になれば全て救える」と言い出した。香坂は、彼女の過去の手帳を見せる。

「小学五年生のセイラさんは、みんなで同じ未来に行くのが幸せだって書いてる。あの頃のあなたを、忘れるんじゃない」

「主任、あんた本当は仕事してたの?」


第五章 紙の匂い

その日、香坂は木蘭に藤本とセイラを残したまま地下書庫へ降りていた。ペンギンのホログラムがぼそりと告げる。

「YES.but… 主任、防音壁の向こうは通信が届きません」

「分かってる。今日は紙の匂いを嗅ぎに来たんだよ」

あの禍の夜――政府ログから一切抹消された出来事。ただしシャンバラ・スクエアの地下書庫には、改竄される前のブランク頁が残っている。文字は消えているが、匂いと温度だけが紙に焼き付いていた。

香坂は白紙のスクラップから老人の約束が焼き付いている頁を選び出す。見えるのは灰色のシミと、ほんの一瞬浮かぶ車窓の影だけ。だが紙を爪で弾くと、0.05秒の静電ショックが走った。禍の現場の残滓。

藤本は相談ブースでセイラの星灯の切符を手に取り、匂封銀器の栓を開ける――そこには約束が果たせなかった焦げた記憶の香が封じ込められている。

「……なるほど、燃え残った分だけ甘いってやつか」藤本が鼻先で香りを確かめる。

彼は黒手袋型スニファーで香を吸い取り、そのまま切符のインク層に逆流写しさせる。インクが一瞬だけ滲み、そこに老人と少年兵が握手するスケッチが浮かぶ。

インクの滲みの中央に “帰還” の二文字。  

香坂「……戦場から家まで、たった一駅だけ戻してやりたかったんだな」

香坂が地下から戻り、藤本に白紙の頁を手渡す。頁は切符のインクと共鳴して、文字の代わりに月明かりに照らされた駅名を映し出す。

「……これで約束は返した。あとは夜汽車で降りる駅を選ぶかどうか、だな」香坂が言う。

「主任、今日は仕事早いじゃん。珍しく泣きそう?」

「泣くかバーカ。お前が書き換えたら、俺が領収書切れないだろ」

「ちゃんと請求する気かよ……夢のくせに金取る奴、木蘭くらいだぞ」

セイラは切符を胸に当て、夜汽車の窓に映るような声で呟く。

「……次は、私自身の駅で降ります」

灯りに透けるペンダントのブルーが、一瞬だけ紫に揺れた。  

香坂は短く笑った。

「そっちの駅名、今度こそ俺がログに残しとくよ」

ペンギンがホログラムで「YES.but… 列車、減速中」と表示。香坂は首元の香を一吸いして、セイラへ背を向ける。

「もう大丈夫だ、乗務員さん。書き換えられた歴史も、意外と人手で戻せるんだ」

「主任、それ言いながら俺に丸投げするのやめて?」

「お前の役割は器だろ?中身は俺が探してきたんだから平等だ」

「はいはい、今日の歩合はジャスミン50mlね」

「高っ! 一瓶で俺の月給飛ぶぞ!」


エピローグ

帰り際、セイラのペンダントがかすかに光る。香坂の端末に、誰も入力していない短いログが残る。

「この訪問は記録されない。けれど、夜汽車はまだどこかを走っている。」

🐧『主任の心拍:+12 bpm | 02:23 AM』

「……黙っとけ。薫クンにも言うなよ」

「主任、何隠してんの?あー録音しとこ」藤本の声が通信に割り込む。

「お前はほんとに余計なことしかしないな!」