声を文字にしてください
午前11時12分、音声翻訳の依頼。
依頼者は、整った黒服に銀のイヤーカフをした青年。
名前は陽翔──とのことだが、名乗り方が演技っぽい。
提出されたのは、音声ファイル。
再生すると、音割れした雑音のなかに、
誰かが繰り返し同じフレーズを呟いている。
「ここに、意味を… 置いていく…」
「意図じゃなく、記憶を…」
翻訳ではなく、文字起こしの依頼だった。
だが、香坂は途中で手を止めた。
「主任、これ、人間の声じゃないよ」
藤本がいつのまにかペン立ての陰から顔を出していた。
「少なくとも、“今の言語”じゃない」
香坂は再生速度を落とし、
波形を見ながら、音と音の“空白”に注目した。
そこに、感情の濃淡が刻まれていた。
木蘭ペンギンのボードに浮かんだコメント:
🐧「“翻訳”ではありません、“採譜”です」
🐧「それも“絶対音感のない人間の”採譜です」
🐧「よって、全責任は主任にあります」
納品した文書には、文字にならなかった部分が灰色で塗られていた。
依頼人──陽翔は、それを見てわずかに笑った。
「音が、文字になったからと言って、理解できるとは限らない。
それでも……通訳してくれてありがとう」
📎備考:
“音声データは記録ではなく、余韻でできている。
記憶の翻訳者は、音の外側を聴くこと。”