“亡くなった人へ”という宛名の封筒
午後2時00分、文書作成と翻訳業務。
封筒に書かれていたのは、「To my father(宛:亡き父へ)」という一文。
便箋3枚分の手紙が同封されていた。
全文が母語ではなく、たどたどしい日本語で綴られていた。
依頼内容は、「これを読みやすい日本語に直してほしい」というもの。
翻訳ではなく、調整。
意味は十分に通じるが、文法と構造が乱れていた。
文章の途中、「ごめんなさい」という単語だけ、8回繰り返されていた。
それぞれ違う行で、違う文字の大きさで書かれていた。
そこにだけ、手が止まった跡が残っていた。
文章を整える作業をしていたところ、
VOID区側のアクセスラインに微細な反応あり。
木蘭ペンギンが部屋の隅に現れ、ボードにこう書いた:
「この方、招待状無しで来たようです。」
一瞬、手が止まる。
香坂は特に応答せず、ペンギンはそのまま静かに退場。
監視記録には残さない。
完成した文面は、あえて句読点を多めに配し、
元の“ためらい”を維持した文調で仕上げた。
そのまま封筒に戻し、封緘せずに依頼人に返却。
藤本が勝手に作った便箋が一枚混ざっていたため破棄。
(余白に「死者に宛てた手紙こそ、生者の構文だ」とだけ書かれていた)
📎備考:
“宛名のない手紙ほど、読む者を選ばない。
その文章が誰かに届いたなら、それだけで“宛先”は成立している。”