退職理由”がうまく書けない
依頼人は20代の青年。
日本語は流暢、履歴書の翻訳を依頼してきた。
が──「退職理由」の欄だけ、一言も書けないという。
香坂:「何かトラブルがあったのですか?」
依頼人:「いや……“何もなかった”のが理由なんです。
でも、それが一番、書けないんです」
“退職理由:特になし”──
そんな一文を翻訳すれば済む話かもしれない。
だが彼は、それが嫌だと言う。
何もなかったはずなのに、
何かがあった気がしてならないのだと。
藤本が通りすがりにコーヒーを取りに来た。
「構文化できない“空白”って、案外重いんだよ。
記憶ってさ、なかったことすら残ってるもんでさ」
香坂:「おまえが言うと嫌味にしか聞こえないが」
藤本:「あらま。主任、今日も口が悪いね」
🐧木蘭ペンギン:
【空白期間:書類上は無害】
【心理影響:現在進行形】
【提案:ラーメン食って忘れろ】
結局、こう書いた。
「静かに、自分が見えなくなった。
でも、どこかで“ここじゃない”と思ったから、離れた」
それを翻訳して渡すと、
彼はしばらく黙ってから、
「やっぱり、木蘭って変な場所ですね」と笑った。
📝香坂後記:
構文士は“何もなかった記憶”には反応しない。
けれど、沈黙を言葉にするのは、いつだって俺たち構文士の役割だ。