言語化できない母の記憶
午前11時、依頼人は中年女性。
翻訳の依頼だが、原文は──
息子が残したボイスメッセージだった。
「お母さん、ごめん……でも、俺は──」
語尾が切れていて、再生しても意味が定まらない。
方言、感情、混乱、すべてが言語の構造を崩していた。
香坂:「これは……翻訳ではなく、再構成に近い作業です」
依頼人:「言葉にしてくれたら、それでいいんです。意味は、あとで考えますから」
音声を3回聞き直したとき、
部屋の空気がふっと動いた。
いつのまにか──
藤本薫が椅子の背に腰かけていた。
昼間なのに。スーツじゃない。例の黒いシャツのまま。
藤本:「再構成、無理だよ主任。
この人の“受け取りたくない記憶”と、息子の“届かなかった記憶”が重なってる。
翻訳じゃなくて、再起動が必要だね」
香坂:「なら、おまえがやれ。夜でなくても、できるなら」
藤本は何も言わず、
音声を聞きながら、香水入れのような銀器を手にとった。
それを耳元で振ると、淡い光とともに、
音声の背後から別の“母”の声が浮かび上がった。
「ご飯できてるから、ちゃんと食べてね」
「あんた、また寝てないでしょ。もう……」
香坂:「これは──」
藤本:「“彼”が思い出したかった“母”は、これだったんだよ。
でも記録に残したのは、謝罪だけ。
人間って、そういうバグ多いね」
🐧木蘭ペンギン:(ホログラム)
【記憶解析:終了】
【主記憶:温度感覚、咀嚼音、鍋の音】
【言語:対応不能 → 保管】
📎備考:
“言葉にならなかった音声の隙間に、
母の記憶は沈殿していた。”