兄は“亡くなっていない”はずなんです
📝香坂主任日誌
件名:兄は“亡くなっていない”はずなんです
午後。依頼者は30代男性。
翻訳依頼として持参したのは、数通の古いEメール。
件名はすべて「兄からの連絡」。
だが──その兄は、10年前に亡くなっているという。
「でもこれ、兄の文体で、兄のタイミングで、兄の語彙で届くんです」
「おかしいのは分かってます。でも、どうしても“自分の記憶と矛盾する”」
翻訳対象は英語だった。
だが、問題は言語ではなかった。
矛盾する“記憶”の方を、翻訳しなければならなかった。
藤本は封筒を手に取り、封も開けずに言った。
「“書かれた言葉”が真実か、
“覚えてる感情”が真実か──
依頼者が選んでないだけだ。
どっちも現実だって扱いにしてやれば済む」
藤本は、依頼者の語りから“兄の記憶の形”を聴き出した。
語彙、温度、言い淀み、繰り返す比喩。
全部を拾いながら、紙面に“対構文”として出力。
香坂はその“兄の記憶”と、メール原文の翻訳を並べ、
「2つの兄の姿」が共存する構成の文書に整えた。
提出時、依頼者は黙って文書を受け取り、
「……ああ、この矛盾のまま残してもらえるんですね」と言った。
🐧木蘭ペンギンのホログラム:
【構文士:本日 稼働済】
【主任:静かに感心】
【今日だけは、褒めてもいいんじゃ?】
📝香坂後記:
矛盾する記憶を、どちらかが嘘だと切り捨てるのは簡単だ。
でも、記録と感情、どちらも事実として扱うために記憶構文士は必要なのだ。
今日はそれを久々に見た。